2020年度アメリカ文学会関西支部臨時総会および2021年1月例会を下記の通りオンラインで開催いたします。多くの会員の皆様がご出席くださいますよう、お願い申し上げます。

使用するのはZoomというオンライン・ビデオ会議システムです。IDとパスワードは後日改めてお伝えします。

■日時:2021年1月9日(土) 14時開会

【臨時総会】

☆司会:杉澤 伶維子(関西外国語大学)

■開会の辞(14時):支部長 西谷 拓哉(神戸大学)

■議事(14時10分):①評議員選挙結果について

  ②その他

【1月例会:若手シンポジウム】

「アメリカ文学と罪」(14時20分)

司会:平川 和(岐阜大学)

講師:豊田 真知(関西学院大学・院):「罪」が充満する屋敷──The House of the Seven Gablesにおける家系と植物(仮)

講師:中山 大輝(奈良工業高等専門学校):奴隷制がもたらす罪――Father Comes Home from the Wars Parts 1, 2 & 3における新たな戦いの歴史

講師:井上 詩歩子(エクセター大学・院):告白詩と医用イメージング技術

講師:近藤 佑樹(大阪大学・院):フィリップの「罪悪感」とロスの「責任」――The Plot Against Americaにおける罪の形(仮)

(途中20分程度休憩)

■閉会の辞:副支部長 里内 克巳(大阪大学)

★若手シンポジウム「アメリカ文学と罪」概要・発表シノプシス

<概要>

新型コロナウィルスは私たちの生活をあらゆる面で一変させた。ひょっとすると私たちは今、「罪」の捉え方についても考え直しが必要なのではないだろうか? コロナ禍の社会においては、何をして善くて、何をしてはダメなのか、その線引きが非常に曖昧になっている。例えば、感染拡大防止のために自粛生活を強いた方がよいのか、それとも経済や教育活動をこれ以上停滞させないために自粛を緩和するべきなのか、何が正解なのか誰もわからない。もっと日常レベルで言えば、今では「人と直接会う」ことですら、どことなく「罪悪感」を覚えるようになってしまった。コロナ以前には平然とできていたあらゆる行為に対し、コロナ以後ではそれまで意識することのなかった「善悪の価値判断」や「罪悪感」といったものが付きまとうようになった。まるでウィルスとともに、「罪悪感」までもが私たちの潜在意識や日常空間の隅々でオーバーシュートしているかのように。

文学は長きにわたって「罪」というテーマと向き合ってきたが、これほど捉えどころのないテーマもないだろう。何を「罪」と捉えるかは、時代や個人(あるいは集団)の立場などによって大きく異なるからだ。しかし、善悪の価値判断が揺れるコロナ禍の今だからこそ、「罪」というテーマに再び向き合うべきではないだろうか。本シンポジウムでは、19世紀中葉(ホーソーン)から21世紀初頭(フィリップ・ロス)に至るまで、アメリカ文学が「罪」というテーマにどう向き合ってきたかを再検証する。それによって、コロナ以後の「罪」のあり方について議論する際に一石を投じることができたら幸いである。

<発表要旨>

○「罪」が充満する屋敷──The House of the Seven Gablesにおける家系と植物(仮)

関西学院大学(院) 豊田 真知

人間の心に内在する「罪」という概念を、文学作品を通して本質的に捉えようとしたのが、アメリカ19世紀中葉のロマンス作家Nathaniel Hawthorneである。クエーカー教徒迫害や魔女裁判に関わった「罪」深き先祖を抱える彼は、自身の作品の中で人間の弱さや悲しみ、欲深さ、憎悪などを「罪」として体現し、時にピューリタニズムという厳しいキリスト教倫理観における「罪」の意識を鮮烈に描き出し、社会や読者に提示した。
長編作品The House of the Seven Gables(1851)は、魔女裁判が行われた地Salemを舞台に、ピンチョン大佐が「魔法使いの罪(the crime of witchcraft)」を利用して建てた、7つの破風の付いた「罪」深い屋敷の中での、複雑で欺瞞に満ちた人間模様が描かれる物語である。本発表では、「罪」が充満する屋敷における、ピンチョン家とモール家に見られるような2つの「家系」をめぐるこの物語を、作品内で頻出する「植物」のモチーフを手がかりに、登場人物の分析を通してこれらの関係性を検証してみたい。

○奴隷制がもたらす罪――Father Comes Home from the Wars Parts 1, 2 & 3における新たな戦いの歴史

奈良工業高等専門学校 中山 大輝

人身売買が人道に対する罪と認知されている現在から考えてみれば、奴隷制はその違反行為を合法化していたことであり、このような国家的犯罪に言及することなくアメリカの歴史を語ることはできないだろう。
本発表では、Suzan-Lori Parksの作品Father Comes Home from the Wars Parts 1, 2 & 3(2014)で描かれる「罪」に着目する。むろん、奴隷制には人種的支配関係を維持するシステムとしての側面があることは言うまでもない。しかし重要なことは、そのような支配に抵抗する中で、黒人奴隷たちが互いに反目しあうようになる点である。国家的犯罪に反旗を翻し、逃亡という罪を犯す黒人が、その支配に抵抗するのではなく、同胞を助けようとする黒人と対立していく。この対立は、奴隷制下における白人―黒人という支配関係が、黒人同士の対立という構図へとシフトすることを意味する。以上を踏まえ、本作における犯罪としての「罪」の移り変わりを考察した上で、Parksのサイクル劇で最初の3部を構成する本作が黒人同士の対立の歴史の始まりを告げる作品である点を議論していきたい。

○告白詩と医用イメージング技術

エクセター大学(院) 井上 詩歩子

1960年代にトラウマや性に関する個人の経験を語ったRobert LowellやSylvia Plathの作品は「告白詩」と呼ばれるが、文学のジャンルがこれほど直接的に「罪」と紐づけられる例は他にないだろう。長らく告白詩は、詩作という言語行為に先立って存在する後ろめたい自伝的事実を率直に吐露する営みと解されてきたが、このような評価は近年の抒情詩研究において見直されつつある。これまで精神分析との影響関係に注目が集まるあまり当時の他の医療分野との関連は殆ど議論されていないが、外科手術や解剖、身体の照射は告白詩に頻出する重要な装置である。告白詩が心身の内奥を掘り下げ抒情詩の限界を押し広げた時代、科学の分野ではX線や超音波検査等の発達によって身体内部が可視化され、スパイや同性愛者を炙り出すのに嘘発見器が常用されていた。本発表では、告白詩に登場するこれらの媒体が身体内部の現象の表出を補助しつつも複雑化している様子を明らかにすることで、罪深い真実の開示という従来の単純化された告白詩観を問い直してみたい。

○フィリップの「罪悪感」とロスの「責任」――The Plot Against Americaにおける罪の形(仮)

大阪大学(院) 近藤佑樹

フィリップ・ロスのThe Plot Against America (2003)は、1940年のアメリカ大統領選に、ルーズベルトではなく飛行士チャールズ・リンドバーグが当選するアメリカにおける狂乱を、ロス本人が自らの少年時代(フィリップ少年)を回想する、という歴史改変小説である。大統領の反ユダヤ主義的発言は、フィリップ少年や彼の周りのユダヤ系アメリカ人への差別行為の容認と化し、彼らを追い詰めていく。彼は当然罪なき被害者である一方、彼の行動が想定外の結果をもたらすことになる。
本発表では、「罪悪感」(guilt)と「犯罪」(crime)という観点から、個人及び政府規模で展開する「罪」の諸相について議論し、フィリップ少年が期せずして過ちを犯している様が明確に描出されている点を指摘した上で、作中のロス本人が「回顧録」を執筆するという行為を通じて、一種の「責任=応答-可能性」(responsibility)を負っているのではないか、という主張を展開したい。