日本アメリカ文学会関西支部11月例会のご案内

11月例会を下記の要領で開催致します。会員の皆様におかれましては、万障お繰り合わせのうえ、多数ご参加下さいますよう、ご案内申しあげます。

日時 11月10日(土) 午後3:00~
場所 関西学院大学西宮上ヶ原キャンパスF号館 104号教室
兵庫県西宮市上ケ原一番町1-155
電話  0798-54-6201

【若手シンポジウム】
テーマ:「現代作家が愛した古典」

司会:池末陽子 (関西外国語大学)
講師(あいうえお順):
今崎 舞(武庫川女子大学・院)
植村真未(大阪大学・院)
尾田知子(神戸大学・院)
四方朱子(京都大学・院)

概要:

「古典について考える」「読み直す古典」といったテーマは幾度となく議論されてきた。それはひとえに、D・H・ロレンスが「アメリカの古い書物のなかには、ひとつの新しい感覚が感じられる」と語ったように、「古い精神から新しい精神への移行」を感じさせる数々のアメリカ古典文学に多くの現代作家が影響を受けてきたからだろう。そこで本シンポジウムでは「現代作家はどのように古典を読んできたのか」をテーマに、四人の若手研究者にご登壇いただく。扱う作家は、「ナサニエル・ホーソーンとポール・オースター」(植村氏)、「エミリー・ディキンソンとJ・D・サリンジャー」(尾田氏)、「リチャード・ライトと黒人作家たち」(今崎氏)、「ヘンリー・ジェイムズと大江健三郎」(四方氏)である。
なお本シンポジウムにはもう一つ隠れたテーマが存在する。「現在の若手研究者はいかにして古典を読んできたのか/教わってきたのか」である。当然ではあるが、アメリカ文学史は年々長くなり、授業で扱う作家は増え、多様さを誇るアメリカ文学の研究射程範囲は無限に広がり、古典作家に触れる時間はだんだんと短くなっているように感じられる。そんな状況の中で、どのように古典と向き合えばよいのだろうか。どのように古典を伝えていくべきなのか。自らの足元を見直す意味を込めて、若手研究者とともに、アメリカ文学研究の伝統と展望について考える契機となる議論を展開したい。

各発表概要:

★アメリカ黒人作家が愛した古典文学――リチャード・ライトとラルフ・エリソンを中心に
今﨑 舞

アメリカ黒人作家たちも、その多くが古典文学から多大な影響を受けたにちがいない。幼少期の家庭環境が貧しく、親戚の家を転々としたRichard Wright(1908-1960)は、人より遅れて教育を受けた。さらに敬虔なセブンスデー・アドベンチストの信者であった祖母から「読み物」を禁じられた環境のなか、祖母の目を盗んではさまざまな書物を読み漁り、自力で読み書きを身に着けた。こうして独学で作家に成り上がったライトは、たくさんの作家から影響を受け作品を遺した。そして、そのライトもまた多くの人に大きな影響を与えたにちがいない。
本発表では、黒人作家間における相互作用をテーマに、Ralph Ellison(1914-1994)に注目する。音楽家を目指した彼がいかにライトから影響を受け、作家となったのか。エリソンの代表作Invisible Man(1952)にはライトの‟The Man Who Lived Underground”(1961)に類似したストーリー展開や情景描写がある。2作品の相関性を考察し、黒人文学再考のきっかけとなることを目指したい。

★“Hawthorne”を描く―The Brooklyn Folliesを中心に
植村 真未
Paul Austerの作品中にNathaniel Hawthorneからの遺産を見出すことは容易である。The Locked Room (1986)では、主人公にFanshaweと名付け、In the Country of Last Things (1987)では、“The Celestial Railroad” (1843)の一文をエピグラフに掲げる。The Book of Illusions (2002)の頬に痣を持つ女性アルマは、“The Birth-Mark” (1843)を愛読書として挙げる。The Scarlet Letter (1850)を「アメリカ文学の始まった所」とまで言うこの作家は、Hawthorneへの敬愛を声高に表明し、その影響を明かすことを厭わない。
Nathan Glassを語り手とするThe Brooklyn Follies (2005)でのThe Scarlet Letterの初版本の贋作作りは、AusterのHawthorne観に新たな視座を与えてくれる。Hawthorneの作品のオリジナルのコピーを作成する「犯罪」を描くことは、オリジナルの権威に傷をつけることにもなりかねない。この行為を考察することで、Austerの新たなHawthorneへの関わり方が見えてくる。AusterがHawthorneから受けた影響を、いかに自作で描いているか、また、現代文学の枠組みの中で、いかなる「ホーソーン像」を作ろうとしているのかを検証する。

★J. D. Salingerの作品に見られるEmily Dickinsonの詩との共鳴――直接的戦争描写の不在
尾田 知子

好きな作家としてHenry James (1843-1916)やCharles Dickens (1812-1870)等の著名作家を挙げていることから、J. D. Salinger (1919-2010)は英米の文学作品に幅広く親しんできたと思われる。とりわけEmily Dickinson (1830-1886)の詩は、Salingerが愛読した文学作品のなかで重要な位置を占めている。単行本未収録短編“A Boy in France” (The Saturday Evening Post, March 31, 1945)では、英国詩人William Blake (1757-1827)の詩と並んでDickinsonの詩への言及があり、フランス戦線で過酷な生活を強いられる主人公の心のよりどころとして重要な役割を担っている。また、The Catcher in the Rye (1951)において、主人公Holden Caulfieldは、Rupert Brooke (1887-1915)よりEmily Dickinsonの方が優れた戦争詩人であるという弟Allieの発言を回想する。この発言は、祖国と自らを一心同体とする愛国主義や戦争の直接的な描写が特徴的なBrookeの詩よりも、南北戦争の体験に立脚した反戦のメッセージを日常的な題材のなかに埋め込むDickinsonの詩に、Salingerが心惹かれていたことを示すものであろう。Dickinsonのこうした作風は、第二次大戦における最前線での従軍経験を持ちながら、終戦後の作品では決して直接的に戦争を描かなかったSalingerの作風と響き合うように思われる。
以上のように、本発表では、Salingerの作品に見られるDickinsonの詩との共鳴を考察し、とりわけSalingerの作品とDickinsonの詩の共通点の一つである直接的な戦争描写の不在が示唆するものについても探究していきたい。

★ヘンリー・ジェイムズと大江健三郎、或いは、ヘンリー・ジェイムズと日本近現代文学試論
四方 朱子

大江健三郎の小説は、数多くの海外作家の引用や紹介で良く知られている。『キルプの軍団』(1988)や『臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』(後に、『美しいアナベル・リイ』として文庫本化)(2007)等々、タイトルにディケンズやポーの作品の登場人物の名前が用いられているものさえある。その中にあって、大江は知る限りほとんどHenry Jamesの名前を持ち出したことはない。本発表は、そんな大江の小説群と、JamesのTurn of the Screw(1898)の構造に、ある相似を見ることができるかもしれないという、なかば強引な試論である。
大江健三郎の小説は、前期と中〜後期に分けて語られることが多い。前期の作品には、寓話的な短編中編が多く、特に性や天皇制、加えて、戦勝国(主にアメリカ)に抑圧される戦後日本などを題材に描いたとされる作品群が目立つ。このような大江の小説の最初の転換点となったと言われるのが、『個人的な体験』(1964)である。同作は登場人物の背景などから、大江の自伝的要素を持つテクストであると一般的に言われる小説であるが、ここから大江の作品は一気に「私小説」的表現手法をもつことになり、この後の作品は、ほとんどが中長編となってゆく。同作は、その展開が作者本人の人生の選択を正当化するものである、との批判が発表当初から相次いでいたものであるが、この小説には、対のように扱われる「空の怪物アグイー」という短編も存在する。
本発表では、この2つの小説の関係と、Henry Jamesのあまたある有名作品のひとつ、Turn of the Screwを並行して読み解くことを試みる。またそれに伴い、Henry Jamesが、その世界的な知名度にもかかわらず日本近代文学との関連については、近年まであまり研究されて来なかったことを念頭に、大江健三郎の小説が属するであろう「日本近現代文学」という枠組みの歩みと、Henry Jamesとの関連についてざっと目を通しつつ、Turn of the Screwと大江健三郎の小説の変遷を比較検討してみたい。

会場アクセスリンク(上ケ原キャンパスマップの9の建物です)

https://www.kwansei.ac.jp/pr/pr_001086.html