著者名: 渡邉克昭
書名: 『楽園に死す―アメリカ的想像力と〈死〉のアポリア』
出版社: 大阪大学出版会
出版年: 2016年
価格: 7100円

【概要】
何人においても〈死〉というものは、通過不可能な経験であり、いかなる指示対象にも還元できず、そこから引き返すことも、そこに立ち止まることも、またそれを乗り越えることもできない。このように自らの〈死〉を生きることも、その特異な様相を語ることもできない限りにおいて、表象不可能な〈死〉は、デリダが言うように、まさしくアポリアとして立ち現れる。それは、「開かない扉」、言い換えるならば「秘密のもとでしか開くことのできない扉」として、生者の前に立ちはだかる。本書では、他者の死、並びに一般的な生命の終焉としての死と区別して、主体自らが関わり、アポリアを孕んだ死、すなわち主体が生きた経験として通過することも証言することもできず、そのエッジに滞留するしかないという意味での死を表すときには〈死〉と表記した。

常に既に死さえも克服したかに見える「楽園アメリカ」にあって、アメリカ的想像力は、その文節化困難なエッジをいかに物語世界の創造に活かしてきたのか。若さと進歩を尊び、「生命、自由及び幸福の追求」の権利を国家の基本理念として掲げたアメリカという文脈において、作家たちは、不死の「楽園に死す」という、さらなる〈死〉のアポリアに対してどのように向き合ってきたのか。本書の目的は、彼らが楽園に埋もれた〈死〉のアポリアとどのように向き合い、そこからいかなるテクストを紡いできたか、〈死〉をめぐるアメリカ的想像力のしなやかな応答を浮き彫りにすることにある。

第一部では、ベローが、喪という文化装置に依存しつつも、それを内側から脱構築することにより、生と死という二項対立の形而上学的枠組みを決定不可能にし、いかに〈死〉という横断不可能なものへの横断を試みたかを分析した。第二部では視座を転換し、「亡霊の誕生」という観点から、バース、パワーズ、エリクソンといった作家のメタフィクションを取り上げ、「楽園に死す」というアポリアがいかに多層的に変奏され、テクストの成立とどのように関わっているかを検証した。第三部においてはデリーロ文学に焦点を絞り、「楽園に死す」というアポリアが、いかに中心的なテーマとして措定され、メディアや身体といった問題系とどのように接合されていくか、「ホワイト・ノイズ」に彩られた彼の「詩学/死学」を浮き彫りにした。大作『アンダーワールド』に照準を合わせた第四部では、その延長線上に「逆光のアメリカン・サブライム」という地平を措定し、アメリカ的想像力が、表象不可能な「崇高」といかに向き合おうとしているかを解き明かした。第五部と終章では、〈死〉のアポリアとの関係において、後期デリーロがとりわけ関心を深める時間のありようを、最近の五作を分析することにより多角的に炙り出した。

以上の考察を踏まえ、本書では、「郵便空間」としてのアメリカを浮き彫りにすることにより、アメリカ的想像力が、経験されざる経験としての〈死〉が滞留する時間の袋小路に逢着してはじめて、楽園の神話の呪縛を解かれ、無限に開かれたエクリチュールを育む生成のエッジへと変貌を遂げることを明らかにした。

【目次】
はじめに <死>をめぐるアポリア―「共和国の亡霊」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1

序章 開かない扉、届かない手紙・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2

I 喪服の似合うベロー
第1章 この〈死〉を掴め―『この日を掴め』のパルマコン、タムキン・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・31
第2章 老人をして死者を葬らせよ―『サムラー氏の惑星』における「盲者の記憶」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・47
第3章 贈与の死、〈死〉の贈与―蘇る『フンボルトの贈り物』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・67
第4章 重ね書きされる身体―『学生部長の一二月』における喪のエクリチュール・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・87

II メタフィクショナルな「亡霊」の旅―バース、パワーズ、エリクソン
第5章 「神話」仕掛けのアダム―楽園の『旅路の果て』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・109
第6章 〈不死〉の迷宮にて―「夜の海の旅」から『ビックリハウスの迷子』へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・127
第7章 複製という名の「亡霊」―〈死〉の『舞踏会へ向かう三人の農夫』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・145
第8章 ホブズタウンより愛をこめて―『囚人のジレンマ』における「」への旅・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・159
第9章 Zの悲劇 ―浮浪者の『黒い時計の旅』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・181

III デリーロと「スペクタクルの日常」
第10章 広告の詩学/死学―差異と反復の『アメリカーナ』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・197
第11章 〈死〉がメディアと交わるところ―ノイズから『ホワイト・ノイズ』へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・217
第12章 シミュラークルの暗殺―『リブラ』の「亡霊」、オズワルド・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・243
第13章 内破する未来へようこそ―9.11・『マオII』・「コークII」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・265

IV 逆光のアメリカン・サブライム
第14章 廃物のアウラと世紀末―封じ込められざる冷戦の『アンダーワールド』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・293
第15章 蘇る標的―「撃つ/写す(シューティング)」の『アンダーワールド』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・317
第16章 敗北の「鬼(イット)」」を抱きしめて―『アンダーワールド』における名づけのアポリア・・・・・・・・・・・・・・335

V 〈死〉の時間、時間の〈死〉
第17章 喪の身体―『ボディ・アーティスト』における時と消滅の技法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・353
第18章 「崇高」という病―「享楽」の『コズモポリス』横断・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・369
第19章 9.11と「灰」のエクリチュール―『フォーリング・マン』における“nots”の亡霊・・・・・・・・・・・・・・・・・・387
第20章 時の砂漠―惑星思考の『ポイント・オメガ』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・407

終章 シネマの旅路の果て―「もの食わぬ人」における「時間イメージ」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・423

結論 楽園のこちら側―〈死〉が滞留するところ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・439

あとがき・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・455
注・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・461-494
引用・参考文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・21-52
索引・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1-19

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